清原和博が石橋貴明に語った逮捕後の日々「生きていく力がなかった」清原を立ち直らせたのは…
7月7日(火)放送『石橋、薪を焚べる』
石橋貴明が文化人、ミュージシャン、タレント、アスリートなどジャンルを問わず“話してみたい”ゲストを迎え、焚き火の前でじっくり語り合うフジテレビ『石橋、薪を焚べる』。
7月7日(火)放送は、元プロ野球選手の清原和博が登場する前編。2016年に覚せい剤取締法違反で逮捕されてからのこと、薬物の恐ろしさについて語った。

石橋:内角真っすぐ投げるよ、俺は。大丈夫?内角高めビシビシ、真っすぐ勝負ですよ?
清原:はい、もちろん、大丈夫です。お願いします(笑)。もうデッドボール当たらないように生きていきますんで。
石橋:西武のコーチだった土井(正博)さんが「キヨには、デッドボールのよけ方を教えておけばよかった」って、昔言っていたという。
清原:そうですね。でもまぁ、自分なりには、ホームラン525本あるんですけど、デッドボールの数と三振の数は、結構自慢できるんですよ(笑)。
石橋:1位でしょ(笑)。
清原:その前に、タカさんこれ「ラストサムライ」のワンシーンじゃないですけど…。
と差し出したのは、清原モデルのバット。石橋はうれしそうに、メーカーの「工場に行ったことがある」と、一流バッターが使うバットに関するうんちくを披露。そんな石橋に清原は「薪にしないでくださいよ」と冗談を飛ばした。
手に入れてきたものすべてなくなって「生きていても意味がない」
バットに刻まれた日付は、執行猶予が開けた「2020年6月15日」。

石橋:どうだったんですか、キヨさん。4年間、苦しかったんですか?
清原:逮捕されてから…1年目はすごく長く感じましたし、1、2年はほとんど薬物の影響による、抗うつ剤とかそういうので廃人状態でしたから。
石橋:えぇ?薬を打たないために、鬱になっていっちゃうの?
清原:僕の場合は、先生にそう言われましたね。体に入っている量があまりに多かったんで、1回に使う量が。それで、そういう後遺症が出るので。
石橋:気分が下がっちゃうんですか?
清原:下がっているんで、先生がいろんな薬を出してくるんですけど、それが合ったり合わなかったりで。あと、1年目2年目は、自殺願望がすごく強かったです。すべてなくなったじゃないですか。息子にも会えなくなって、手に入れてきたものすべてなくなって。生きていても意味がないと思って。スマホで“自殺の仕方”を検索してみたりとか、そういうことやっていました。
石橋:1日中?
清原:はい、もう外に出たら、世間の目も怖いし、マスコミに追いかけられる可能性もありますし。だから友達とかに食べ物運んできてもらって、ほぼ1~2年は、外に出なかったですね。
石橋:もう完全な、ステイホーム。
清原:そうです。
石橋:出られないんだ、自分の中の気持ちとして。テレビとかそんなものも見たくないわけでしょ?
清原:テレビは見なかったですね。海外ドラマとか…保釈されて、病院に移ったんですけど、『プリズン・ブレイク』見てました(笑)。
石橋:あはははは。
清原:日本のリアルな番組を見られなかったんですよ。報道番組は、絶対見られないですし。
石橋:変な話、プロ野球とかメジャーリーグとか?
清原:全然見なかったです。
石橋:高校野球も?
清原:見なかったです。
野球をしてきたことさえも否定してしまった清原を救ったのは夏の高校野球
石橋:まずその一番苦しかった1、2年は、どうやって乗り越えていったの?
清原:もう生きていく力がなかったんで。僕、大阪から出てきたじゃないですか。本当に、野球したことさえも後悔したんですよ。「野球さえしていなければ、こんなことにならなかったのかな」と。
石橋:野球すら否定してしまったの?
清原:そうです。だから全然野球見なかったですし。
石橋:最悪の状態から、少し上向いてきたのはいつだったんですか?
清原:甲子園に行けば、原点みたいなものを思い出せるかなと思って。第100回大会あったじゃないですか。
石橋:はいはい。一昨年。2年前。
清原:そこに向けて「甲子園に行こう」と決めたんですよね。その前に雑誌の取材を受けたりして、やっと2週間に1回、取材を受けられる、リハビリみたいなのをしていって。「100回大会見に行きたいです」と言ったんですね。そうしたら、やっぱりリアルな話、勝手に自分でチケットを買って見にくる分にはいいと、招待的な感じではなかったんです。それでも自分は行きたかったんで。
石橋:その時の清原和博の目に、甲子園はどう映ったんですか?
清原:巨人×阪神で何回も(甲子園で試合を)やってるから、その甲子園というのは自分の中で覚えているんですけど、16歳、17歳、18歳の…。
石橋:PL学園時代の。
清原:あの時の甲子園を見てみたいなという気持ちがあったんで…本当に成熟した空気感とブラスバンドがあって「あぁ、俺こんなところで本当に野球してたのかな」って。スタンドから改めて見てですね、「あぁ、高校野球っていいよな」と思って。そこから元気をもらいましたね。
石橋:ああ、やっぱり清原和博をもう一度奮い立たせたのは、夏の甲子園だったんですか?
清原:そうですね、特にあの吉田(輝星)くん(現在、北海道日本ハムファイターズ)というピッチャーが。
石橋:はい、(秋田県立)金足農業(高等学校)。
清原:(決勝の相手が)大阪桐蔭だったじゃないですか。かたや秋田県の全員公立の中学出身、こっち(大阪桐蔭)はもう…。
石橋:エリート中のエリートの。
清原:昔のPL学園みたいなもんですよね。なんか、死んでいた魂が、やっとドクドクドクってこう。
石橋:脈打ってきた感じですか。
清原:はい。
自分は意志の強い人間だと思っていた。唯一負けたのがあの薬。
石橋:清原和博ほど、甲子園に愛され、野球に愛され、プロ野球の生活も、すべてスター中のスターの道を歩んでいた男が、野球を辞めてしまおうというほどのことを起こしてしまって。うーん、なんだろう。苦しさはやっぱりキヨさんにしか分からないと思うんだけど。
清原:そうですね、その、そういうもの(薬物)に出合ってしまったこともありますし。
石橋:なんでだいたい、そんなものに手を出しちゃったの?
清原:まず膝のリハビリから解放されるじゃないですか。リハビリに毎日時間を費やしてきて、今度は自分のやりたいことがなかなか見つからなくて、夜な夜な飲み歩くようになって。そんなところでついやってしまったという。
石橋:時間がありすぎたために?今から17~18年くらい前に一緒のジムでトレーニングしていたときがあって。(清原は)当時ジャイアンツで。その時のバーベルを持ち上げるトレーニングの姿見たらね、プロの一流バッターというものはここまで体をいじめ抜かないと、一流としてずっと持続していけないんだなって。あの練習見たときに驚いて。あの清原和博でさえこんなにやってるんだっていう。

ハードなトレーニング後にもかかわらず、石橋のバッティング練習に付き合ってくれたことや、清原とのメールのやり取りなどを明かし「本当に優しい人」と思っていたと石橋。だからこそ「事件を最初に知ったときは驚いたんですよね。野球が大好きで、家族を愛していた清原が、すべてをそこでパアにしてしまうんだと」と当時の衝撃を打ち明けた。
清原:今の選手って野球終わってからのビジョンを持っているじゃないですか。僕は本当に野球ばっかりやってきて、ぽっかり穴が開いてしまったんですよね。自分、これからどうやって生きていけばいいのかなという感じで、本当に最初はそういう仲間の集まりで、軽いノリでやったんですよ。だけど、1回やってしまったら終わりですよね、あれは。
石橋:ああそう?1回やったらダメ?
清原:1回やったら、もう…。自分はある程度、意志の強い人間だと思っていたんです。どんな苦しさにも耐えてきたし、痛みにも耐えてきたので「そんなものに負けるはずがない」と思っていたんですけど、唯一負けたのが、あの薬でしたね。
石橋:やっぱり恐ろしい?
清原:恐ろしいです。
石橋:そこから全然抜け出せなくなっちゃう?
清原:もう、完全に人間じゃなくなりますよね。それ(薬物)が一番に来るんですよ、常に。使うことが。その次に自分の大切なものが来るんですよ。最初は一番下にいるんですよ。
石橋:優先順位が全然変わっちゃうんだ。
清原:どんどんどんどん上がってくるんですよ。
石橋:悪魔のような薬なんだね。
清原:今、薬物の病院に行っていて、そこのドクターが言っていましたけど、患者さんで薬物の売人が来るらしいんですね。(その人の話によると、ステイホームの期間中、薬物は)「すさまじい売れ行きだった」っていいますから。
自分の存在を全否定していたが、息子と再会できたことで前向きになれた

石橋:4年間ここまで頑張ってきて、本当の戦いはここからですよね。
清原:やっぱりこうしてチャンスいただけるなんて、4年前なんかはこの世に出てきてはいけないと思っていましたし、自分の存在を完全否定、そういう考えしかできなかったんで。やっぱり前向きになれたのは、息子と再会できたこととか。
石橋:ああ、そうですか。息子さんと。
清原:それも去年ですかね。本当は写真を弁護士さんを通じてもらうだけだったんですけど、去年の3月ですね。突如、会えることになったんですよ。
石橋:全然会えなかったわけですね、それまでの期間。
清原:はい。なぜ会えるようになったというと、息子が今バッティングのことに悩んでいると。
石橋:野球をやっている、今、息子さんが。
清原:はい。それで誰かに教えてもらいたいという話になったらしいんですね。次男なりに、僕の名前は母親に気を遣って言えなかったと思うんですね。
石橋:息子さんは息子さんでやっぱりいろいろ…。それくらいの年齢になるわけですね。
清原:そうですね、思春期ですから。そこで長男が僕の名前を出してくれて、それで急に決まったんですよね。(会えることが)決まって、2~3週間後に突然、母が亡くなったんですよ。3月5日で、僕の背番号の日なんですけど「あぁ、これは母からの置き土産かな」と思って。それから2週間後くらいに息子たちと再会できて。本当に大きくなっていたし。
石橋:やっぱり大きいんですか?キヨさんの血を引いて。
清原:あ、長男は僕より大きいですよ。
石橋:えぇ!?ご長男何歳?
清原:今年、高3ですね。
石橋:高3でもうそんなに、188㎝くらい?
清原:あります、あります。
石橋:で、今バッティングに悩んでる次男の子が、中学…。
清原:今年3年生です。
石橋:何かで見たんですけど、かなりセンスがいいっていう。中3の時の清原和博並みのセンスを持っているという。
清原:僕が最後に(練習を)見たのが6年生だったんですよ。その時点では、僕が6年生の時よりはるかに良かったんで。
次男は、コロナ禍で試合ができていないが「その分ちょっと僕が(練習を)見る回数が増えた」と語り、清原自身も「A・ロッド(アレックス・ロドリゲス)の打ち方」などを勉強していると明かし、石橋を驚かせた。
注目している選手は誕生日が同じあのバッター
そんな中、清原が現在注目しているバッターの話題に。
清原:僕、今注目しているバッターは鈴木誠也選手(広島東洋カープ)なんですよ。
石橋:鈴木誠也の何が一番いいんですか?
清原:構えも素晴らしいですし、タイミングの取り方もうまいですし、バットの軌道がまずいいですよね。あと、ハートが強いですよね。
石橋:まぁ、とにかく負けず嫌いだって、超が付くくらいの負けず嫌いだって聞いてますよ。
清原:らしいですね。
石橋:この1~2年で構えてる瞬間に「投げてらっしゃい」っていう感じが出てるよね。
清原:はい。彼のスイングが理想的だと思ってます。
石橋:現役時代のキヨさんもそうだったけど、鈴木誠也はデカい。年々デカくなっている、体が。
清原:自分、誕生日が一緒なんですよ、そういう思い入れもあって。
石橋:えぇ!8月18日?
ほかにも吉川晃司や中居正広も同じ8月18日生まれと聞き、「やっぱりいい星の日なんだね」と納得の表情だった。
次回、7月14日(火)も清原和博を迎えた後編を放送する。