アントニオ猪木、リングデビュー60周年「これからも元気を発進し続けていきたい!」
9月30日「アントニオ猪木 デビュー60周年記念記者会見」
9月30日(水)、アントニオ猪木が都内にて開催された「デビュー60周年記念記者会見」に登壇した。

1960年9月30日、東京都・台東区体育館にて、大木金太郎選手を相手にプロデビュー戦を敢行したアントニオ猪木(当時は本名・猪木寛至名義)。9月30日に記念すべきデビュー60周年を迎え、同日から2021年9月29日の1年間を「アントニオ猪木デビュー60周年記念イヤー」と位置づけ、さまざまな制作物やイベントを世に送り出していくという。

司会者の「燃える闘魂! アントニオ猪木、入場!」という掛け声とおなじみの入場曲で、会場に登場してきたアントニオ猪木。

「元気ですかー?」とおなじみのセリフで第一声をあげ、「あ、大きな声出しちゃいけない。でも、これを言わないと俺が決まらないんでね」と苦笑い。

続けて、「世の中おかしな時代。60年生きてないと思っていたんだけど、生かされてしまいました。仲間たちもみんな旅立ってしまって、1人残された感じですね」と言いつつも、「いずれコロナも終わると思う。明日、来年に向けて、思い切っていろんな発想を出して、頑張っていこうと思っています」と力強い表情でコメント。
また、「コロナの親分を呼びつけて『もう帰ってもいい頃』と言ったら、頷いてましたよ」と冗談を飛ばして会場を笑わせていた。

司会者からコスチュームについて聞かれると「なんも意味はない」と謙遜気味に返答。テーブルの上に置いてあったウイスキーに注目し、「今日デビュー60周年なんですけど、ウイスキーにデビューしたのも60年前。力道山さんの付き人をやっていまして、ジョニー・ウォーカー (Johnnie Walker)の赤を、夜な夜な飲まされました」と思い出を披露し、「 今日、1本空けてもいいですかね。そのくらいの元気があってもいいかな?」と笑顔を見せた。

デビュー60周年に関して、多くの著名人からお祝いの言葉がビデオメッセージで到着。プロボクサーの井上尚弥選手、CHEMISTRYの川畑要、株式会社ビームス代表取締役社長の設楽洋氏、RIZIN代表取締役社長の榊原信行氏、ピーター・アーツ、新日本プロレスリングのオカダ・カズチカ、中邑真輔、坂口征二、藤原喜明ら新日本プロレスのOB、古舘伊知郎、白鵬翔、明石家さんま、錚々たるメンツが登場した。
お祝いのメッセージを見た猪木は「派手好きなもので、本当は皆さんにやってほしかったけど、こういう時期だからしょうがない」と残念そうに話し、「とにかくこれからいろんなことにチャレンジしようと思う。本当は疲れて『もういいかな』という思いもあるけど、世界を変えていこうと。世界に向かて『バカヤロー!』と怒鳴る日が近くまで来てると思います」とはにかんだ。

コロナ禍でストレスがかかる日本人に向けて、アントニオ猪木は「声も出せないし、握手もできないし、マスクがあるからチューもできない」と悲しそうに話しつつも、「どちらにしても終わりはあるでしょうから、頑張っていきましょう」と凛々しい表情。また、「暗いと思うから暗くなり、明るいと思えば明るくなる。まずは心の健康、体の栄養もとって、自分自身を大事にしてほしい」と呼び掛けた。
また、菅義偉新政権について問われると、「コロナでふんだり蹴ったり。誰に“すが”れば、いんだろう。“アイム、ソ―リー”」と言い、「世界のリーダーがみんな小さくなった気がする。地球規模で物事を考えられるリーダーが早く誕生してほしい。菅さんに期待したいし、ぜひ頑張ってほしい」と期待を寄せた。

これからの夢についても言及。「皆さんの期待はありがたいんですけど、俺自身も朝起きたときに、その1日のテーマを見つけて、元気を振り絞っている状況」と明かしつつも、「夢というよりは、何か目的を持つことが大事。何でもいいから目標を持ってほしい。俺は、世界のゴミをなくしてしまおうという目標があり、世界の人たちにもっともっと情報として知ってもらいたい。迎えが来るその日までやりたい。時代に出会い、時代を背負い、時代に恋して、今日時代を生きえる。この一瞬一瞬ですが、精いっぱいできる自分で頑張っていきたい。 コロナが廃止になれば、世界中にもう1回飛び出していきたいと思っています 」と熱く語った。

最後には、当時の酒の思い出を披露して、ウイスキーを飲み、「心の中で大きな声を叫んでください。これからも元気を発進し続けていきたい。1、2、3、ダー!」と力強く叫び、締めくくった。
