【オヤジンセイ】渡辺裕之「いきなりスカウトされて映画スターだろ!」自撮り写真で掴んだデビュー
特集「オヤジンセイ」渡辺裕之<前編>
社会現象になった昼ドラ『愛の嵐』でブレイク

27歳でデビューしてから立て続けに、ピーター・フォンダと共演した「だいじょうぶマイ・フレンド」(1983年)、ドイツとの合作「ウインディー」(1984年)と、大作映画に出演しましたが、僕自身への評価はそこまで振るわなかった。
今思えば、ちゃんと劇団に入って稽古をしていれば結果は違っただろうな、という思いはありますが、その時には分かりませんよね。知らないしそういった伝手(つて)もなかったし。だから自分の中では順風満帆な経歴ではないんです。
そんな中でターニングポイントになったのは、昼ドラの『愛の嵐』『華の嵐』『夏の嵐』の“嵐3部作”(※)です。毎日、スタジオで撮影するという経験をしたのも大きかったです。だんだんと自分の名前と存在が知られていって、街を歩いていても、声をかけられたり振り向かれたり、どこかに行くとワーッと人が集まってきたりと反響が直に分かるようになった。
(※)1986年~1989年に放映された東海テレビ制作の昼ドラマシリーズ。身分違いの恋をドラマティックに描き、その人気は社会現象にもなった。
それで有頂天になっていた時もありましたが、先輩の俳優さんやスタッフの方が、さまざまなアドバイスや注意をしてくれました。(“嵐3部作”で)共演した長塚京三さんをはじめ、美術の池田(幸雄)さん、あとは照明さんや当時のADの方といった方々からいろいろ教えていただきました。それまでは自分の勘だけでやってきていたので、ありがたかったです。
「感情で反応しろ」長塚京三からの教え

一度、長塚さんのお宅に、(『愛の嵐』で)共演した田中美佐子さんと佐藤仁哉さんと僕とで招いていただいて、お芝居の話を聞かせてもらったことがあります。長塚さんは早稲田大学の演劇科からフランスのパリ大学へ留学をして、翻訳のお仕事をするほどに経験が豊かな方。
「俺たちが主役のお前を目立たせるために芝居をするから、お前は大きな芝居はしなくていい、その代わりに微妙な表現ができるように勉強をしたほうがいい」「まばたきの仕方、目の動き、ちょっとした顔の筋肉の動きひとつ、その時の感情に反応するトレーニングをしろ」などと、具体的なアドバイスをくださった。
でも、当時の僕には難しくて、「感情、内側がメインなんだな」というのはかろうじて分かりますが、それを表現するためにはどうしたらいいのか、改めて本を読んでは勉強しての繰り返しでした。
俳優という仕事は、もっと不器用な人の方がいい場合もたくさんあると思います。僕はカメラマンの倅(せがれ)ということもあって、カメラのレンズの知識があるがゆえに、「今、カメラのレンズを何ミリに交換したから画角がこう、人の動きがこうなる。ということは、こっちから首を回したほうが映像が繋がる」とか、変なコツみたいなものが身についている。
先読みして動くから撮影はスムーズに進むんですが、それって俳優の仕事ではないんですよね。そんなことを考えずに、純粋に役の感情だけを追っていく人の方がいいのではないか、そう思うこともあるんです。
渡辺裕之のジンセイ。後編では俳優としてめざすこと、夫婦円満の秘訣、人助けをしてしまう性分について語ってもらう。