“世界一の酪農経営者”のDNAを継ぐ藤井雄一郎氏「まだまだ牛乳は開発できる」
11月17日(火)放送『石橋、薪を焚べる』
石橋貴明が文化人、ミュージシャン、タレント、アスリートなどジャンルを問わず“話してみたい”ゲストを迎え、焚き火の前でじっくり語り合うフジテレビ『石橋、薪を焚べる』。
11月17日(火)の放送は、北海道・富良野にある藤井牧場の代表取締役・藤井雄一郎氏が登場。「開拓者たれ」という経営理念、これから挑戦したいことなどを語った。

生の牛乳は「すっきりしている」搾りたての生乳に「うまい」(石橋)
藤井牧場には、370ヘクタール(東京ドーム84個分)の土地に、牛1000頭がいるという。藤井氏は、朝4時に搾ってきたという牛乳を石橋に「ぜひ飲んでいただきたい」と差し出す。
石橋:つまり、殺菌してないやつですか?
藤井:無殺菌の、普通は世に出回らないものです。
石橋:藤井さん、俺、今日、すげぇ疲れてるんだけど大丈夫かなぁ(笑)?
藤井:大丈夫です。元気になっちゃいます。乳酸菌が生きてますから。
石橋:なるほどね。(出荷される牛乳は)菌を殺しちゃうから、そういういい菌も…。
藤井:いい菌も殺しちゃってるんです。本来は、生のまま飲むものですから、生の方が絶対、体調良くなると思うんですよ。
生の牛乳を口にし「すごくすっきりしてますね」と石橋。藤井氏は、「もっと濃いと思われるんですけど、生の牛乳はすっきりしてるんですよ。変なにおいや味がついていないんです」と説明。石橋は「うまい」と、味わうように飲み干した。
「大変な職場をどれだけ働きやすくしていくか」を大切にしている

藤井牧場では、35名いる社員が牛と畑の世話をしている。「大変な職場をどれだけ働きやすくしていくか」を大切に改革を進め、2016年には「日本で一番社員を大切にしている企業大賞」で3位を授賞したが「なかなか酪農を就職先にする人は少ない」と現状を説明。
「農業の中でも酪農というのは一番過酷というか、休みが取れない」そうで、毎日搾乳しないと牛にストレスがかかってしまう中で、1日3回、朝の4時から搾乳をして、終わるころにようやく日が昇ってくる。「それを365日。大変ですね」と明かした。
また、コロナ禍で牛の値段も下がってしまい「半期だけでも数千万円、売り上げが落ちている状況」と語った。
世界一の酪農家から学んだ「牛の目をヘッドライトのように輝かせる」こと
藤井氏は、大学在学中の19歳のとき、当時アメリカで「世界一の酪農経営者」と呼ばれたフィル・ヘルフター氏の元へ修行に出る。師匠となったヘルフター氏は「とにかく、かっこよかった」と言う。
石橋:何がかっこよかったんですか?
藤井:超現場主義なんですけど、科学的なんですよね。科学と現場の力がすごく高いレベルで融合しているというような状況で。大学の先生が「何でそんなに乳量が出るんだ」と聞きに来て、それを教えてやっているというような。
石橋:あ、それは全然隠すことなく、全部オープンに?
藤井:はい。酪農家が大学の先生に教えを乞うのではなく、教えている。現実的にそういう高い乳量や成績を出しているわけですから、理論は後付け、みたいなところもあったりして。彼から教えてもらって、今も気にしていることは「酪農家がどれだけ前向きにやるかどうか、それが社員にも伝染するし、牛にも伝染するんだ」「牛の目をヘッドライトのように輝かせるくらいにお前はやらなくちゃならない」という話をされて。
ある意味、精神論みたいな話だったんですけど、最後の最後でそれを言われたときに「なるほどな」と。彼のやっている姿をいろいろ見てきた中で、結局はそういうところなんだと。科学的な理論はありながら、最後はそこに行きつくんだと。今になっても「あ、そういうことを言っていたんだな」と気づくことや、なかなか真似できていないと思うこともありますね。

リスクがあっても飛び込んで何とかモノにしていく開拓者精神
話題は、アメリカで学んできた「砂のベッド」(放牧しているのと同じような環境を作り牛舎の中で住まわせる技法)を導入するために、2億円をかけて設備投資をした件に。
石橋:突っ込みましたね。
藤井:はい。突っ込み…ましたね。やっちゃうんですよね。当社の経営理念「開拓者たれ」というのがあるのですが、やっぱり開拓者として北海道に入ってきた一家ですから、新しいことに飛びついちゃうというところもあるんです(笑)。リスクがあっても飛び込んで、何とかモノにしていくと。そういうのが代々の血筋みたいなことろがありまして。
石橋:それで何年くらい経ってるんですか?
藤井:今、ちょうど7年目ですかね。
石橋:目に見えて牛が元気になってくるんですか?
藤井:最初の3年くらい、なかなか効果が出なくて。もう倒産するんじゃないかと思いました(笑)。
「牛の邪魔をするな」という師匠の教え
「設備だけ入れても、使い方がよくわかってなかったりする」と、社員たちと試行錯誤していく中、3年かけて乳量が増えてきたという。
石橋:ミルクの量が全然違ってくるんですか?
藤井:そうですね。ケガとか病気になる牛が減って、乳量が増えていくという形になるんですけれど。
石橋:牛のストレスを軽減すると、正比例するかのようにミルクの量も。
藤井:まさにその通りなんですね。それもヘルフターに教えてもらったことなんですけど「牛の邪魔をするな」と。
石橋:邪魔をするな?
藤井:人間が邪魔をしているから乳が出ないんだ、健康にできないんだと。とにかく牛が一番暮らしやすい環境を作るのが牧場長の仕事だと教えられました。
藤井氏は、牛が暮らしやすい環境を作るために「砂のベッド」の必要性を感じ、「間違いない」と投資に踏み切った。
絶望から開き直りへ…藤井氏を救った先人の失敗!?
藤井氏に「酪農をやってきて一番辛かったこと」を聞くと、2015年に生乳の自主流通に取り組んだ際、出荷した牛乳が「不良乳」として返品されたことを挙げた。
出荷時にきちんと検品しても、出荷先に届くころには腐敗してしまっていた。一度出荷して戻ってくると、300万円ほどの損失になるが、新しく導入した機械の使い方に原因があると気づくまでに10日ほどかかったそうだ。

石橋:じゃ、3000万円(の損失)?
藤井:そうですね。いろんなところにご迷惑をかけて。そのときの記憶は、ほとんど覚えてないですね。寝てなかったと思いますし。毎日、いろんなところに電話して、「何でこんなことになるのか」と。
最終的には、5000万円ほどの損失を出してしまい「100年続いた牧場もこれで終わりだ」と覚悟したが、2代目が新規事業を始めたときの「その年の3分の2の米が廃棄になった」という失敗に比べれば、「まだ俺の方がましだ」と思えたという。藤井氏は、「そこで開き直れて、何とか続いてます」と笑った。
13歳での母の死、父の涙…自分がやるしかない
116年続く藤井牧場の5代目である藤井氏は、父親からは「牧場を継げ」と言われたことがないが、祖父母からは「5代目」と呼ばれて育ったという。幼いころから「継ぐのかな」という気持ちはあったが、本格的に継ぐことを決意したのは、13歳での母の死だった。
藤井:泣くというよりも呆然としながら、明け方に牧場に帰ってきたときに、搾乳のポンプの音が聞こえてきて。それを見たとき「母が死ぬというときにも、酪農場は休むことが許されないのか」と。
石橋:それで、嫌いにはならなかったんですか?
藤井:一連の人生自体を、たぶん、憎んだような気もするんですけど。でも、父が母の位牌に向かって泣いているのを見たんですよね。父が泣いているのなんて、そのときしか見てないんですけど、あの父が泣くんだと。父を恨むこともできないですし、「自分がやるしかない」と。自分がやるんであれば、何とかしていかなきゃならないと。その思いがたぶん、今も僕を動かしているのかなという気がします。
石橋は、「それが藤井少年の心を動かし、何千万の借金を食らっても『負けないぞ』っていう、バックボーンなのかもしれないですね」と、藤井氏の話に感じ入った様子だった。
藤井氏「牛乳はまだまだ開発できる」
そんな藤井氏は「次に何をやろうか考えているときが楽しい」と語る。
石橋:次、もう決めてるんですか?
藤井:そうですね。2030年までに「富良野未来開拓村」を作るぞ、と。
石橋:富良野未来開拓村?
藤井:富良野をどんどん活性化していこうと。例えば大学や企業と提携をしていきながら「開拓ラボ」というのを作ろうと思っていまして。コンビニさんの商品開発なんかと手を組みながら、そこに合った牛乳を作っていこうとか。
石橋:あれだけ、北海道に大手の会社がある中、また、新たなものを作ろうと?
藤井:はい。
石橋:牛乳は、まだ余地あるんですか?
藤井:牛乳は、まだまだ開発できます。
最近では、遺伝子レベルでの研究が進み、味や風味の違いが選別できるようになってきた。藤井氏は、その最新技術と開拓者精神で培ってきたノウハウで「オンリーワンの牛乳を作りたい」と意気込んだ。