「大学で終わらせたくない」駒澤大学を箱根駅伝優勝に導いた大八木弘明監督が見据える選手たちの将来
3月9日(火)放送『石橋、薪を焚べる』
石橋貴明が文化人、ミュージシャン、タレント、アスリートなどジャンルを問わず“話してみたい”ゲストを迎え、焚き火の前でじっくり語り合うフジテレビ『石橋、薪を焚べる』。
3月9日(火)の放送は、駒澤大学陸上競技部の監督・大八木弘明氏が登場。箱根駅伝優勝の裏側や、選手時代の経験、監督として今の学生たちに思うことや今後の展望を語った。
箱根駅伝で「まさか」の優勝…その理由は?

今年の「第97回箱根駅伝」で総合優勝を果たした駒澤大学だが、大八木監督は「まさかでした」と振り返る。
大八木:今回の箱根駅伝は、若いチームで、1、2年生が中心。そういうチームはスタミナがまだまだついていないところが多かったので、もう1年かかるんじゃないかなと思っていて、(目標は)「3番以内」と言っていました。
石橋:2位の時点で…あそこの10区で勝てると思っていました?
大八木:10区のときに勝てるとは思っていません。
石橋:3番以内は確保したから、もうこれでOKと?
大八木:だけれども、10区の石川(拓慎)には「お前は区間賞取りに行け!」と。昨年、最後で早稲田に抜かれたもんですから「去年のリベンジで区間賞(狙え)」というようなことを、たすきもらった場面で言いました。そうしたら、ガンガンペースを上げて行きましたんで、前がどんどん詰まってきて。15キロ地点くらいで「もしかしたら行けるぞ」と、気合を入れました。
石橋:(笑)。気合い入れて「お前は男だ!」と。
大八木:はい(笑)。
石橋:今、監督のその「男だ!」を、男女差別だとかいう意見があるじゃないですか。だけどそれは俺、違うと思うんですよね。
石橋は「男女差別のことではなくて、選手を鼓舞するための言葉」と、そうした意見への違和感を語った。
石橋:それによって選手は気持ちがグッと上がって、二の足、三の足みたいにスパートするわけじゃないですか。「男だろ!」と言うと、選手は余裕あるんですよ。こう(ガッツポーズして)後ろの監督に向かって「わかってまっせー!」って感じでしたもんね?
大八木:やっぱりそうやって意思表示してくれると、こちらも「この子は、この区間しっかり走るな」と感じますね。

メンタルが強くないと箱根駅伝は走れない
大八木監督は「気の弱い子にはやさしく」「勝気な子には『行くぞ!ここから勝負だ』」など、選手の性格によって声のかけ方を変えていると明かし、自分の選手時代と現在の選手の違いにも言及した。
大八木:メンタル的なものが弱いところが多いので。
石橋:今の若者たちはちょっとそういうところが昔とは違うんですか?
大八木:違いますね。前はもう、ある程度厳しいこと言ったら反骨心みたいなものがあって「なにくそ」みたいな感覚でやってましたけど、今はあんまりいうとシュンとなっちゃって、部屋で寝込んでしまいますから。
石橋:あはははは。
大八木監督は、箱根駅伝は精神面で強くないと「プレッシャーに負けてしまう」と語る。自身も、箱根駅伝は何度挑戦しても緊張するという。
大八木:走る前が一番緊張しますよね。選手たちがどういう状態かということで。当日の朝、熱が出ていないか、足に違和感がないか、常にチェックしてスタートラインに立ちますから。
石橋:それでも走ってみないとわからないこともあるわけですよね。
大八木:そうですね。走ってみないと、こればっかりはわからないです。調子がいいか悪いかは。

石橋は「(1、2年生で)勝つことを覚えたら、もっと練習する」と、来年の箱根駅伝に期待を寄せるが…。
大八木:そうですね、有頂天にならなければ(笑)。
石橋:ここでまた手綱を締めなきゃいけないときがあるわけですか。
大八木:まだ頭の中に「優勝」というのが、フワーッととなってますから。今ここでもう一回締めておかないと、次につながらないかもしれません。
「箱根駅伝で走りたい」夢をかなえた学生時代の苦労が監督力に
大八木監督自身も駒澤大学で箱根駅伝に3回出場、区間賞を2度獲得している。高校卒業後は就職したが「箱根駅伝で走りたい」という強い思いから、24歳にして駒澤大学経済学部第2部に入学した。
大八木:仕事をしながら大学の夜学の勉強もしながら、やっていました。だからその4年間は大変でした。
石橋:それでちゃんと(箱根駅伝を走る)10人に選ばれて、区間賞まで獲り。そこまで苦労して走っている選手っています?今。
大八木:今は恵まれていますから、昔と違って、なかなかそういう環境でやる子はいないですね。
大八木監督は「昔は、時間をうまく使うかどうかでした」「働いて、勉強して、練習して、食事して」と、分刻みのスケジュールをこなしていたことが「今の指導者としての仕事に生きている」と語った。
チームの立て直しには「生活改善」が必要
大八木監督が指導者となったのは、お世話になったヘッドコーチから「チームを立て直してくれ」と、直々のオファーがあったからだという。
石橋:どのくらいかかったんですか、立ち直らせるまで。
大八木:2年ぐらいで少しずつ、良い環境にというか。選手たちが、少しずつ頑張ってくれましたね。
石橋:何を変えたんですか?
大八木:一番最初は、やっぱり生活ですね。
石橋:やっぱり、生活ですか!
石橋は、以前番組に出演した青山学院大学陸上部の原晋監督も「一番最初に生活を改めさせた」と言っていたことを振り返った。
大八木:朝練習もあんまりしない。食事もカップラーメン食ってる。練習もいい加減にやっている。マージャンやってたり、タバコ吸っていたり。ものすごいひどい状態だったところを全部変えましたから。やっぱり大変でしたね。でも2年で何とか少し戦えるチームになったので。一つ足りないのは「優勝」という文字でした。勝ったことがないチームだったので。
ほどなくして復路優勝が叶い、「俺たちもやればできるんだ」とチームの士気が上がったという。
そこから箱根駅伝4連覇へと導いた大八木監督は「一人ひとりが意識を持たないと一つにならない。箱根駅伝はチーム力」「しっかり練習したチームが勝つ」と熱弁した。
教え子たちに「本気や情熱」をアピール
しかし、その大八木監督も「4連覇を果たして気持ちに余裕が出て安定してしまった」と振り返る期間があった。
石橋:選手の横を伴走するときに、自転車に乗って追っかけて行ったんだけど、きつくなって辞めたら、(チームの)成績、落っこちちゃったんですか?
大八木:落ちましたねぇ(笑)。50歳過ぎくらいのときに。その安定期に入ったときは、今一つ、自分の本気や情熱が出ていたのかと疑問に思いますよね。そのときは「このくらいでやっていれば、2番、3番で行けるだろう」とか、そういう考えでずっとやっていたので。
「もう一度奮い立たせないとダメだ」と思ったきっかけは、現在富士通に所属し東京オリンピック男子マラソン日本代表に内定している中村匠吾選手が駒澤大学に入ったことだった。
大八木:そこから、もう一回エンジンかけなおして、自転車でやり始めました。
石橋:だから日に焼けてる!監督(笑)。真っ黒ですよ。この時期にこんなに黒いのは、サーファーか監督ぐらいしかいないですよ。大変ですね、やっぱり。
大八木:(笑)。だけど、そういう気持ちが選手を動かすんだと思います。安定期に入ったときは、グランドで待っていたり。(選手たちに)「本気で俺たちを見てるのか?」という思いがあったのかもしれません。
「今回(の箱根駅伝)はもう、本気で。『俺もやってるんだぞ!』というところをアピールしました」と笑った。
「大学で終わらせたくない」大八木監督が見据える学生の将来
長年、選手たちをコーチングしていく中で、指導方法も変わっていった。「初めは、私が言っていることをみんなしっかりやってましたけど、今は少しずつ自分で考えたりするような方向に向けてアレンジして」指導している。
大八木:最終的に、大学だけで終わらせたくないんで。
石橋:選手の次なる目標までも考えて?
大八木:大学は、箱根とかそういう目標がありますから、そこを考えて。だけど、一人ひとりの目標がもっとレベルの高い選手がいますので。企業に行って、世界を目指すというものがありますので。それのためには、やはり大学で終わらせちゃいけない。その先のことも考えて指導しています。
石橋:育てながら勝つという。
大八木:はい。
「それで毎年毎年結果を出していくって、これ大変ですね」と石橋が声をあげると、大八木監督は「それが楽しみでもあります」とやりがいを口にした。

今後は、指導をしている中村選手に「オリンピックでメダルを獲らせたい」、そして駒澤大学の「箱根駅伝連覇」を目標に挙げた。