上白石萌歌 初めて見た渋谷のスクランブル交差点は「どうにかなっちゃうんじゃないかって(笑)」
3月28日(日)14時~『ザ・ノンフィクション』
3月28日(日)14時からフジテレビでは『ザ・ノンフィクション 新・上京物語 前編 ~煙突とスカイツリーと僕の夢~』が放送され、ナレーションを上白石萌歌が担当する。
<放送内容>
春…夢と希望を抱いて故郷を旅立ち、東京を目指す若者たち。
2020年5月、新型コロナの影響でなかなか上京できない一人の青年がいた。

製紙工場の煙突が立ち並ぶ町、北海道・苫小牧市から料理人を目指し上京する、18歳の一摩(かずま)。就職先は、かつて『料理の鉄人』にも出演した洋食の巨匠・大宮勝雄シェフ(70)が経営する有名店「レストラン大宮」だ。
そんな一流の店に、料理を学んだ経験のない一摩が入れた理由…それは祖父の美智男さん(63)にあった。両親が離婚し、父とも死別した一摩は、幼い頃から祖父母に育てられてきた。祖父・美智男さんは、若い頃、東京の伝説的なフランス料理店で活躍。その美智男さんと修業時代を共にしたのが、大宮シェフだったのだ。
がんを患い、料理の世界を引退、療養生活を送っている美智男さんは、大切に育ててきた孫をかつての盟友・大宮シェフに預けることを決めたのだ。
そんな二人の思いを背負い、上京した一摩。大宮シェフや先輩たちは、温かく迎え入れてくれたものの…。

生まれて初めて見る東京、初めての職場、初めての料理…何もかもが初めての新生活に、初日から完全に飲み込まれてしまった一摩は、思いも寄らぬ行動に出る。
故郷から遠く離れた東京スカイツリーのふもとで、夢と現実の狭間でもがく、18歳の青年の上京物語を追った。
<上白石萌歌 インタビュー>
自身も地元の鹿児島県から中学生のときに上京してきた上白石は、「すごく気持ちがわかる」と、共感する部分も多かったという。「感情に寄り添うことや、心情を代弁して読むこと」を心がけたという収録後、話を聞いた。

――収録を終えての感想を教えてください。
一摩さんと私は年齢も近いし、同じように上京を経験してきた身としては似ている部分も多くて、「私も東京に初めて降り立ったときはこんな気持ちだったな」などと、思い出しながら読んでいました。
私が上京したのは中学生のときだったのですが、その頃の記憶は鮮明に残っています。ただ一摩さんよりは幼かったので、いろんなことがよくわかっていなくて、そういう無知な状態のほうが物怖じせず、不安も少なかったのかな、と思います。一摩さんを見ていて、18歳で上京するのは、考えることも多くて、大変だろうな、と感じました。
上京したばかりのときは、誰しも希望に燃えていると思うのですが、そこから生活が始まって、いろんな人と出会ううちに、自分の理想とは違うところや、自分がいかに甘く考えていたか、みたいなことを思い知る。そういう瞬間は、私にもあったのですごく気持ちはわかりました。
――どんなところを似ている、と感じたのでしょか?
東京に初めて降り立ったときに、一摩さんが「住む世界が違い過ぎる」と言っていたのですが、すごくわかるな、と思いました。
私は東京に住むようになって5、6年経ちましたけど、東京に出て来る前の、まだお仕事を始める前の気持ちとかも思い出しました。自分の原点を探るような気持ちにもなりました。
――上京した当時の印象に残っている景色はありますか?
渋谷のスクランブル交差点は鮮烈で。信号待ちをしている人たちが、向こう側の陣営とこちら側の陣営みたいに見えて、このあとどうにかなっちゃうんじゃないかって(笑)。私とは違う人種のような気もして、すごく怖かったことを覚えています。人の“圧”を感じた記憶があります。

――ナレーションをするときはどんなことを心がけましたか?
ナレーターではなく、普段はお芝居をさせていただいている身として、できることは何かと考えたとき、やはり感情に寄り添うことや、心情を代弁して読むことだと思ったので、モノローグ的なところは残しながら、映像の邪魔をしないポジションを探ったつもりです。
でも、声は生ものですから、少しのニュアンスで意味が変わってしまうこともあるので、そこはディレクションを信じて入れていきました。
今回やらせていただいて、録音ブースのちょっと外から隔たれた感じも好きでしたし、お話としても面白かったので、それに声を当てる作業はすごく楽しかったです。
