宮崎宣子「背筋がピーンとしたおばあちゃんに」コロナ禍、40代からの“習い事”
元日本テレビアナウンサーで、現在はフリーのアナウンサー、実業家、ハーバリスト。さらに、早稲田大学大学院に通う学生でもある宮崎宣子さんが、日々のあれこれを素直に綴ります。
連載コラム 宮崎宣子の「八転び九起き」第2回
<“いろいろあった”宮崎宣子のコラムスタート!「女の悩みは尽きないですね」>
最近、コロナ禍で思うのは、私には「当たり前のことなんて一つもなかった」ということ。「こうなるだろうなぁ」と思ったことは、ことごとくならなかった。
2018年に個人事務所を設立した。19年、今までお世話になった方々から、それまでの仕事を引き継がせていただき、仕事をスタートできた。ありがたい、頑張ろうと思っていた翌年、コロナ発生。20年3月には、夏頃までに決まっていた仕事19件が飛んだ。
もう一つ。18年10月、構想5年のビジネス(※)をスタートさせるため起業した。未知の分野への挑戦だったが、私には駆り立てられるような使命感があった。「今やらなければ」と思ったのだ。
(※)オーガニックハーブブランドの設立。
ハーバルセラピストの資格取得から始まり、海外取材などを経て3年前から商品開発に没頭した。19年8月にローンチし、10月から店舗展開のスタートだった。
ところが、その3ヵ月後にコロナ発生。お店はクローズし、在庫だけが残った。
さらに。コロナ発生のニュースの10日前に、10年ぶりにインフルエンザにかかった。認めたくなかった私は、体温計には触らず、「病院さえ行かなければインフルエンザではない」と必死に耐えようとした。1週間後に大事な仕事が入っていたからだ。
自分勝手な考えだが、フリーアナウンサーになってからは病気には特にナーバスだった。一回の仕事が人生を左右することだってある。生活がかかっている。
ところが、あまりの体のだるさに立てなくなり、トイレに行くにも貞子のように這(は)いつくばっていた。愛犬のアロハは、心配しそばにいてはくれるが、何もできない。「散歩どうしよう…」「餌をあげなくちゃ」と思いつつ、アロハのなんとも言えない寂しそうな顔に観念して、体温計を握った。
何年ぶりかに使った体温計は、39.9度。
壊れたかと思ったが3回やっても同じ。それ以上の体温の測定はできないとわかり、もしかしたら40度を超えているかもしれないと思った私は一人で病院へと歩いた。すぐに隔離され、インフルエンザB型と判明。もちろん仕事はキャンセルせざるを得なかった。
その後も災難は続く。久しぶりのインフルエンザに体調が戻らない。熱はすぐに引いたけども、体力が奪われ、体のだるさが取れないのだ。そんなわけで、一人、ソファとベッドの行ったり来たりが10日間ほど続いた。やっと回復してきたかなと思った頃に、コロナの情報が飛び込んできた。