宮崎宣子「結婚なんてこりごりだった私」に奇跡を運んでくれたもの
導かれるべくして導かれたような気がした荒木神社との出会い
そんなことを考えていたら、ちょっと不思議なお話を思い出しました。
8年前のこと。離婚した私が、まつ毛のエクステのサロンに行くと、対応してくれたスタッフの方が、「宮崎さん、伏見稲荷に行ってみたらどうですか?」と声をかけてくれたんです。あるお客さんが、伏見稲荷に参拝してから50歳を過ぎて結婚し、仕事も軌道に乗っているから、と。
離婚したばかりだったこともあり、「もう、縁結びはいいかなと思っているんです」と答えると、そこは、恋愛の縁だけではなく、人間関係、就職や仕事、さらに子宝など、さまざまな縁をつないでくれるのだ、と言うのです。離婚してひとつの縁が切れたのだから、「これからいい縁が結ばれるように行ってみたら?」とすすめられました。
「そうですね」と答えたものの、内心は「どうしようかな…」と乗り気ではありませんでした。とはいえ、おすすめしてもらったので、調べてみたところ、彼女が言っていたのは、千本鳥居で有名な京都の伏見稲荷大社の近くにある神社だとわかりました。
そこは、伏見稲荷がある稲荷山の途中、伏見稲荷大社参拝ルートから外れた小道の先にある神社で、スマホや車のナビでは案内がされにくい、いわば知る人ぞ知る神社でした。
次の日の朝、起きたら小雨が降っていました。朝ごはんを食べながら、なんとなく昨日の神社の話が頭に残っていました。予定もないし、行ってみるか…。東京駅から京都行きののぞみに乗り込みました。どんよりとした空の中、一人で。
京都も冷たい雨が降っていました。電車を乗り換えて、まずは伏見稲荷大社へ。本殿に着くなり、千本鳥居をくぐり、鳥居がずっと続く階段をひたすら登って行きました。
まるで禊(みそぎ)の修行のような登り坂。息を切らしながら、途中で休憩しながらやっとのことで登りました。

小雨の中、外国人の観光客がちらほらいましたが、一人で来ているのは私くらい。一人黙々と登る姿は、「この人、なんかあったんだろうな〜」って感じだったと思います(苦笑)。
山頂でお参りし、その後、恐らく「ここだ」と思える小道に入っていき、鳥居を抜けて、石畳を歩き、階段を下ってさらに下って、その神社…荒木神社へたどり着きました。
そこは「稲荷大神の中でも、縁結びを司り、古より信仰され、人々の良縁、求人、就職他、いろいろな人と人との縁を結んでくださる神様です」と書かれているように、さまざまな縁結びにご利益があるとのこと。
さっさと参拝して帰ろうと思ったら、宮司さん(あれ?さっきまでいなかったような…)から「口入(くちいれ)人形を家のきれいなところに置いておきなさい。お供えものはいらないので願い事が叶ったら返しに来てね」と声をかけられました。
口入人形とは、夫婦の狐と、そのお伴(とも)の狐の三体が一組となった置物。値段は2000円でした。
「え、これ買うの?」と思ったけども、断れない雰囲気だったので購入し、眷(けん)族の三柱の神だという人形を持ち帰ることに。
眷族とは、神意を代行して、現世と接触する神の使いという意味らしい。とにかく、我が家に神の使いの狐の人形が置かれました。
正直、部屋のインテリアにも合わないし、どうかなと思いました。失礼ながら、狐ってちょっと不気味な印象があったし、飾るかどうか考えたけれど、不思議なタイミングで現れた宮司さんのこと、私に荒木神社の話をしてくれたサロンのスタッフの方のこと、そして、なぜかその話が頭から消えず、翌日に訪ねてしまった自分のこと…。
導かれるべくして導かれたような気がしてならず、結局、飾ることにしたのです。