宮崎宣子 人生初のTOEICが受けられず!まさかの痛すぎるハプニング
元日本テレビアナウンサーで、現在はフリーのアナウンサー、実業家、ハーバリスト。さらに、早稲田大学大学院に通う学生でもある宮崎宣子さんが、日々のあれこれを素直に綴ります。
連載コラム 宮崎宣子の「八転び九起き」第6回
みなさん、こんにちは。
梅雨真っただ中ですが、夏を感じるこのごろ。
大学院も夏クオーターに入りました。大学院は春・夏・秋・冬のクオーター、それぞれ15回の授業に分かれており、今年の1/4が終わったということになります。
歳を重ねてから、光陰矢の如しという言葉を実感しておりましたが、特に4月からの2ヵ月半は長かった。感覚が小学生に戻ったかのよう…。「全然、夏休みが来ないー」と、1学期がとてつもなく長く感じたあのころを思い出しました。
前回、人生で初めてTOEICを受ける!とお伝えしたので、その結果を報告したかったのですが…実は、受けられませんでした。
あれは、入学から1ヵ月半くらい経ったある金曜日のこと。その週は課題も多く、寝る間も削って、重い荷物を肩掛けカバンに詰めて大学通っていました。
その金曜日も、朝6時に起き、8時には家を出て満員電車で足を踏ん張って予習をしながら大学に着き、硬めの椅子に座り、9時から18時までフルで授業を受けました。
そして、その日はゼミの飲み会。教授も参加されるとのことで、私も初めて参加することにしました。それまでも飲み会は各所で開かれていたものの、私は疲れ果ててしまっていて、参加する気にもなれなかったのですが、この日は、20年ぶりの“馬場飲み”(※)に参加しました。
(※)早稲田大学のある高田馬場にちなんで、周辺での飲み会をそう呼ぶ。
ですが、正直、1週間の…というか、4月からの疲労の蓄積もあって、私はぐったりでした。
そんな中、この日はお店の予約時間の1時間前に授業が終わってしまい、「なら、馬場歩きしましょう!」となったのです。

内心、タクシーで行く気満々だった私ですが、なんと教授までが馬場歩きをするとおっしゃるので、雰囲気的に従わざるを得ない感じで、歩きはじめました。
慢性的な肩こりを抱え、腰の痛みをかばいながら、200メートルおきにカバンを右肩へ、左肩へと持ち替えて歩きました。
しかも、この日はあいにくの雨。馬場まで1.4キロの道のりを、みんなで傘を差しながら歩き、お店までたどり着きました。
久しぶりとなった馬場飲み。今回、半分以上は外国人で、会話も英語というグローバルな会でした。私は飲めないものの、みなさんお酒も回っており、楽しい時間を過ごすことができました。
1次会が終わると、みなさん2次会へ行くとのことでしたが、私は先に失礼することに。おそらくゼミの中で私は最年長かと思いますが(教授の次に)、もう朝まで飲み続けられる気力も体力もなく、徹夜でカラオケなんて無理な話です。
(早稲田大学の)学部時代に馬場に住んでいたこともあり、帰り道には、街並みを見ながら、新しくなったお店を珍しがり、以前のまま変わらないパン屋さんを懐かしく思いながら、高田馬場駅に着きました。
そこから自宅の最寄り駅まで電車に乗り、駅から自宅にかけて急な坂を登り…最後の体力を振り絞るようにして、やっとのことで帰宅しました。
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