“極楽浄土”を現世であらわしたいと作られた平等院鳳凰堂の新事実を調査
8月17日(水)放送『林修のニッポンドリル 学者と巡る世界遺産SP清水寺&平等院』
本堂があった場所に建つ「観音堂」が建てられた時代は?
正門から杉本教授がまず向かったのは、源平合戦で源頼政が自刃した「扇の芝」(自刃の跡)。
杉本教授によると、「鳳凰堂」に向かう前に「扇の芝」の隣りにある「観音堂」にお参りするのが、おすすめルートとのこと。

阿弥陀如来坐像をまつる「阿弥陀堂」である「鳳凰堂」は、もともと平等院の本堂ではありません。
観音堂の本尊が「十一面観音像」で、今は「ミュージアム鳳翔館」にて展示されています。
杉本教授曰く、「鳳凰堂」に行く前に元々の本堂があった「観音堂」にお参りすると、平安時代の人々と同じルートで平等院を歩くことができます。
この「観音堂」は、鎌倉時代中期に建てられたと考えられています。
しかし、杉本教授は建物の軒下にある屋根を支える「垂木(たるき)」の形に注目しています。

「垂木」の形は、上が四角で下が丸くなっているのですが、これは古代の建物の特徴。
「鳳凰堂」の「垂木」も同じ形になっていることから、杉本教授は「観音堂」が「鳳凰堂」と同じ平安時代に建てられた可能性を考えています。
平等院では、創建時から残っているのは「鳳凰堂」だけだと言われてきましたが、今後の調査次第では、とんでもない大発見になることが明らかになりました。