“極楽浄土”を現世であらわしたいと作られた平等院鳳凰堂の新事実を調査
8月17日(水)放送『林修のニッポンドリル 学者と巡る世界遺産SP清水寺&平等院』
平安時代の阿弥陀様と、戦国時代の豊臣秀吉にどんな関係が?
「鳳凰堂」の対岸からは、建物の「丸窓」を通して阿弥陀如来坐像の顔が見えるのですが、顔全体がキレイに見えないことが長年謎だとされていました。

杉本教授は、この謎に豊臣秀吉が関わっていると主張。
平安時代の阿弥陀様と、戦国時代の豊臣秀吉にどんな関係があるのでしょうか。
かつて、「鳳凰堂」の対岸には「小御所」という(鳳凰堂を見るための)観覧施設が建っていたのですが、建物があった場所の地盤が現在よりも、最大150cm低かったことが発掘調査でわかったのです。

「小御所」があった付近の地盤が上がるきっかけになったのは、杉本教授曰く、豊臣秀吉が伏見城を建てるために行った宇治川の護岸整備。
その影響で宇治川の水位が上がってしまう事態に。そこで「平等院」を宇治川から守ろうと、江戸時代になってから「鳳凰堂」と宇治川の間に盛り土を行うことに。
そのため、対岸の地盤が、最大150cmも高くなったといいます。
今でも地面に近い場所から「鳳凰堂」を拝めば、阿弥陀如来坐像のお顔が丸窓に収まった形を見ることが可能です。
杉本教授の話を聞いた京都出身の川島明さんは、「今すぐ宇治に帰りたい」と興味津々の様子でした。
