妻夫木聡「何でもいいからプロになれ」父の言葉を胸に…大河主演で“家族孝行”
11月6日(日)放送『ボクらの時代』
妻夫木聡を支えた父親からの言葉
中学生のころ、スケートボードに夢中だったという妻夫木さんは、父親から将来の夢について聞かれたといいます。

妻夫木:「わかんないよ、そんなこと言ったって」ってさ。夢も何もないのにさ、どうしようと思って。まぁ、スケボーが好きだから「プロスケーターになる」ってそのとき、言ったの。
窪田:はい。
妻夫木:そしたら「スケボーなんかで飯が食えるか!」って(笑)。
窪田:あはははは。
妻夫木:今でこそ、スケボーってこんなに浸透してるけど。
平野:それは、お父さま的には何か正解があったんですか?「こういうことを言ってほしい」みたいな。
妻夫木:うーん、父的な正解があったのかは、僕にはわからないんですけど、父にとっては「何でもいいからプロになってほしい」って。
平野:ああ。
妻夫木:サラリーマンになって、その道のプロになるということでもいいと思うんですけど、何かこう、極めてほしいっていう。
平野:スケボーはダメだった(笑)?
妻夫木:(笑)。スケボーはダメだったらしいですね。(職業に)結びつかなかったんじゃないですか。
妻夫木さんは、父親から「何でもいいからプロになれと言われたことは、結果、自分の支えになった」と、俳優を続けるうえで大切にしてきたと明かしました。
平野啓一郎「芥川賞の社会的意味」
妻夫木さんは、芥川賞作家である平野さんに、「若いときは賞を獲りにいこうなんて思っていなかったでしょうし、シンプルに書きたいものを書いていたと思う。今考えて、自分の何が評価されたと思いますか?」と投げかけました。
平野さんは「90年代は、『文学は終わった』とされていて、書きたいものを書くというようなムーブメントが起きていた時期。90年代後半は、それまでの評価とは違う軸でいろんな人が出てきた。その中で、僕は評価されたという感じ」と振り返りました。
平野:(芥川賞に)ノミネートされるときに「ノミネートしていいですか?」って連絡が来るんですよね。
窪田:「していいですか?」ですか?
平野:はい。やっぱりね、こだわりがあって「ダメです」っていう人がいるんですよ。あんまりいないと思うけど(笑)。
妻夫木:ええ、いるんですか!?
窪田:えー。
平野:実は、僕もね、本当のことを言うと、賞と関係のないところで文学活動をしていきたいと思っていたんで。ちょっとね、断ろうかと思ったんですよ、一瞬。
妻夫木:うーわ!すごいですね。
平野:でも、僕がデビューするにあたって、お世話になった編集者もいたし。いろいろ考えてノミネートを受けたんですけど。
平野さんは「芥川賞に関していうと、社会的には良く知られているから、取材先で親切にしてもらったりとか、親が安心したりとか、社会的意味はある」と分析。
すると、妻夫木さんも、大河ドラマの主演(※)が決まった際に、祖父からご祝儀をもらい「ご祝儀を送ってくるなんてことが初めてだったので、自分がやってることで家族を喜ばせるって、すごくシンプルだったんですけど、そのことのほうがうれしかったんですよ。自分が決まったということよりも。ようやく少し、おじいちゃん孝行だとか、家族孝行ができたような気がした」と振り返りました。
(※)2009年『天地人』で大河ドラマに主演。
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